MASSATTACK(マサタック)
DAY2
更新日:2020年12月16日
日本人ですか?スーツケース運びますよ!と話しかけてくれたのは
少しぽっちゃりとしていて、スポーツ刈りが伸びた感じのナイスガイのシゲ君という男の子だった。飛行機や車での移動で少し疲れていたのだが、彼は丁寧にココが教頭の部屋で、ココが学食で、とかすごく丁寧に教えてくれた。そこの学校には生徒の寮が3つあった。一つは女性生徒用、男子生徒用は二つあって、若い生徒(中学生も入る)用の寮と年上の寮。自分は年上の寮だった。エレベーターとかはなかったのでシゲくんは僕のスーツケースを最初の寮の部屋の3階まで運んでくれた。
寮の部屋に入るとこれから一年間一緒に過ごすルームメイトが待っていた。とても優しそうな韓国人のジョナサンという子だった。荷物を置いて外を見ると、びっくりするぐらいの田舎の学校なので、寮の部屋から見える景色は紅葉になっている木々が丘の上まで見えて、そこで楽しそうに色々な人種の生徒たちが仲良く笑って話しているのを見た。その時にアメリカの高校へ来たんだなと改めて実感した。
数学や他の授業はもちろん全て英語でまったく何を言っているのかわからないので、とりあえず早く英語を習得しようとそこの高校に来ていた日本人の生徒たちとはなるべく連まずに、でもアメリカ人の友達とは連む勇気が最初はなかったので、スペイン人の友達たちとお昼や夜ご飯を学食で共にしていた。その時に変なスペイン語を色々と教えてもらって変な日本語を代わりに教えてあげて仲良くなっていった。
学校に少しづつ慣れたある日の晩御飯後に同じ階の寮の別の部屋でかなりの爆音が聞こえて来た。日本の歌謡曲しかほぼ知らなかった自分にはとても新鮮だった。日本の寮の状況がわからないのだが、アメリカの学校の寮はみんな部屋のドアを開けっ放しにすることが多く、誰でもウェルカムな感じがあったので、気になってその部屋へ行ってみた。
すると見た事のない音楽機材がたくさんあった。最初に驚いたのがレコードをかなりリズミカルに擦っていて、その周りで何人かが輪になって、ブツブツとリズム良くしゃべっていた。時にイエーと握手したり何かすごい熱量とエネルギーを感じたのを覚えてる。他にも音楽を作曲できるドラムマシンというものもあり、自分で作曲したりしているのを見て、これは自分もやってみたい!と強く思った。
その彼はお兄ちゃんがハリウッド映画に出ていたりするNY出身のアフリカンアメリカン(黒人)の生徒で、その学校にはバスケと勉学で来ていた。バスケは普通にくるくる回ってダンクを打つし勉強も出来るし音楽もやっているし、と正にこいつなんやねん。という感じだった。ただ、自分には全てが新鮮だったのでそのレコードを擦ってるやつ(DJ)を教えてよ!と言ってみた。そうすると彼は「マサ、ブラックミュージックは教えるとかじゃないんだ。俺から盗めるところがあったらどんどん盗んでくれ。」と言ってくれた。
なるほどな、自分でどんどん追求していかないと行けないんだなと思って、そこの学校からボストンまで高速バスで2時間半かけて色々と機材を調べたりした。
そして、かなり巨大なスピーカーとDJをするターンテーブル等をアルバイトをして揃えた。とりあえず雰囲気を出そうと思って、ポスターを貼ってみたが、今思い出しても恥ずかしいが、まったくのジャンル違いの舌にピアスが刺さってる顔色の悪い男性の良くわからない気持ち悪いポスターを貼っていた。
そして日々何が正解かわからずDJが何をやるのかもわからず練習していたのだが、それを聞きつけてかアメリカ人の友達もどんどん部屋に遊びに来る様になった。みんな音楽好きだ。曲をかけたら勝手にラップしたりしてくれてめちゃくちゃ楽しかった。そんなある日シゲ君が「マサ!ターンテーブル買ったんでしょ?ちょっと曲かけてよ!」と言ってきたので曲をかけてみた。するとそのシゲ君が即興でラップし始めた。正直めっちゃ驚いた。日本語ラップの存在を知ってはいたけど、あのシゲ君がラップするなんてと驚いた。
その後、シゲ君は東京のど真ん中で育って色々な日本語ラップの先輩達のライブを観に行ったり一緒にラップをしたりしていたらしく、それにもびっくりした。
その後からかシゲ君とは何かあると良く連んでいたと思う。
自分の英語も少しづつ出来てきて、コミュニケーションもだいぶ取れる様になってきた。
そして、そこの学校は長い冬休みがあるので、日本へ戻り20才の成人式を地元で迎えた。
久しぶりにみんなでわいわいは楽しかった。昔の頃の孤独感は少し和らいでいた。もう就職している子や大学へ進学している子、もう結婚している女子生徒もいたと思う。
そんな中、あっ自分まだ高校生だ。と思ったが、もうあまり気にならなかった。
冬休み後アメリカへまた戻って少しして卒業式を迎えた。アメリカはぶっちゃけ誰でも大学へ入れるので最初はボストンにある大学へ行く事にした。ボストンはちょこちょこ学校が出してくれる車や自分で高速バス(確か往復3000円ぐらい)に一人で一番安いチーズバーガーセットを巨大なバケツみたいなドリンクをめちゃくちゃ無愛想な定員から受け取って、ウォークマン(昔はカセットテープを機械に入れてヘッドフォンをつけてました)を耳にかけて行っていたので、知ってるし住みやすいだろうなと思った。
その時シゲ君はというと、ボストンではなくNYを目指していた。NYも一度高校の時に行ったのだが、ゴミゴミして忙しく人が冷たい感じがしたのであまり興味はなかったが、ある日シゲ君から「NYでアパートを契約したから遊び来てよ!こっち音楽的にも最高の環境だよ!」と連絡がきた。ちょうどボストンのクラブとかレコード屋さんとか音楽的にはつまらないなーと感じていたので、居候がてら行く事にした。
NYはボストンから高速バスで5時間ぐらいだが、まったくの異空間だった。ボストンは白人は白人のエリアのように別れていた印象があるが、NYは隣がパキスタン人とか何人かわからないとか普通だ。音も色々なところから色々なジャンルが流れていた。今一番ホットな音楽は街がブンブン鳴らしてくれたので、NYのクラブへ行った時の一体感はすごかった。みんな大合唱状態。とにかくアメリカを肌で感じれた気がした。ラジオも当時はすごい影響力でそのNYのラジオのカセットテープを録音して日本で販売している業者も多くて、日本の音楽ファン(ヒップホップファン)はその情報を貪る様に購入していた現状もあったぐらい本当にすごかった。その頃にはもう自分は大学も辞めていて音楽で生活できるようになる事だけを夢見ていた。
学校へ行かないとビザの問題もあるので、とりあえず音楽ビジネス、エンジニアリングの専門学校へ移った。無事そこを卒業して1年間だけ、どこかで働けるビザをもらった。当時大学を辞めた兄を心配して一つ下の弟がNYへ来てくれて「スーツも持ってないなら買ってあげるよ。」とスーツを買ってもらったのだが、今でも覚えてるがプレイステーションももらった。当時お金が本当になかったので、情けない話だがめちゃくちゃ嬉しかった。弟はその当時は大手の車メーカーに就職していたので、海外で学校も行かずに何をやっているのかわからない兄が心配だったんだと思う。そんな弟にスーツを買ってもらったので、そのビザを使って働く事にした。派遣社員だが大手の旅行会社だ。NYのタイムズスクエア近くにあるオフィスだった。入ってみると当たり前だが急に普通の日本の会社で本当に驚いた。英語を使う部署とは聞いていたが、主にクレーム処理だ。海外旅行へ来ているお客さんのクレームを聞いてあげる事がメイン。やりたい事ではもちろんないので、仕事が終わったら即家で音楽を作っていた。シゲ君はその当時は日本食屋さんでウェイターをやっていたので、だいたい終わるのが夜23時頃だ。その頃から何となく二人で曲をちょこちょこ作りはじめていたが、なかなかタイミングが合わなかった。友達もいないのでシゲ君と会うまでにどうやったらもっと良い曲になるかをとにかく自分なりにやり続けてみた。
そんなある日DJ KAORIさんから連絡が来た。KAORIさんとは当時彼女がバリバリNYでDJをやっている時に一方的に声をかけて仲良くしてもらった。KAORIさんから「マスター(DJ MASTERKEY)が NY来ていて、今夜こっちのラジオに出るらしいよ!」と、実はDJ MASTERKEY(マスター)さんとは自分がアメリカの高校生時代の夏休みにパチンコ屋さんでバイトをさせてもらっていた時に同じくホールで働いていた方に紹介してもらった。その時にいつでもデモ(デモテープ)聞かせてよ!と当時言って頂いたので、とりあえずNYにいる間にめちゃくちゃドキドキして渡したのを覚えてる。っというのも、実際のところレコーディング環境なんて、まったく整っていないところで録音をしているので、音はめちゃくちゃ悪かった。でも、マスターさんは「かっこいいじゃん!何か今度やろうよ!」と言ってくれた。あの時はめちゃくちゃ嬉しかった。
その後、シゲ君が知り合い伝いでHさんという方とお会いした。NYでは数々のNYの有名なヒップホップアーティストのDJをやったり日本へもレコードの卸しを大手へ行ったりと和洋関係なくかなりの繋がりのある方だ。その方が「スタジオを持っているから、今度ウチに遊びに来なよ!」と言ってくれた。劣悪な環境で作業をしていたし、情報交流も乏しかったので嬉しかった。シゲ君の仕事の休みの合間を見て早速NYのチャイナタウン近くにあるスタジオへ遊びに行かせてもらった。入ってみると、一階はかなりの数のレコードが綺麗に並んでいるレコード屋さんだった。ジョージという有名なレコードコレクターでもありかなり音楽に造形が深い。そんな中とてもワクワクしてスタジオがあるという2階へ階段を登った。かなり広い場所に洋服や靴の卸しもされていたので在庫のようなものもあった。何もかもがキラキラしてみえたので、興奮して色々と機材とかをチェックしている時にHさんから「まさっち、しげっち!ちょっと紹介したい人がいるんだけど、彼女はシンガーをやってるじゅん!何かあったらここで何か録ろうよ!」と言ってくれて紹介されたじゅんちゃんというシンガーさん。紹介された後に、仮でレコーディングしたという楽曲も聴かせてもらった。ジャジーで当時自分が好きだったシンガーのUA(ウーア)さんっぽいとても魅力的な声を持っていた。
