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  • 執筆者の写真MASSATTACK(マサタック)

DAY3

更新日:2020年12月17日

Hさんのスタジオに頻繁にいける事になって、さまざまな楽曲を自分としげ君とじゅんちゃんで作る機会が増えたある日にマスターさん(DJ MASTERKEY)からユニバーサルミュージックでコンピレーションCD(色々なアーティストが参加をするCD)をリリースすることになったから一曲参加してよ!と連絡が来た。

もちろん二つ返事でOKをした。その頃自分とシゲ君はHi-Timezというグループ名で楽曲制作をしていて、Rawkus Records(ロウカスレコーズ)というレコード会社に所属していたMos Def(モスデフ)やCommon(コモン)というアーティスト達がいるスタジオへ遊びに行った彼らと交流をもったりデモを渡したりしていた。日本ではその頃新しいアーティストが沢山デビューしていたので、ここまで来たらアメリカの本場でデビューしないと勝てないという気持ちも強かった。


Hi-Timezとじゅんちゃんでは良くNYのライブハウスでライブしたりもしていた。週末の時は、その後レギュラーでDJをさせてもらっていたチャイナタウン近くの205というクラブへ向かってレコードを回してDJをしていた。盛り上がり過ぎて警察が来る事も良くあった。特に、クラブの中でお客同士が喧嘩をしているとすぐ音を止めさせられた。しょうがないなーという顔をしていたが、心では「よっしゃー!めっちゃもりあげてるやん!」と思っていた(謝)。


お客さんが沢山入るとゴムでぐるぐる巻きの太めのドル札をもらえて頑張ったかいがあったと嬉しくなった。実はこの頃自分のビザの状況がとても曖昧だったので、現金でもらえる事は非常にありがたかったし、日本へ帰ったらNYへ戻ってこれるかもわからないという心配もあった。


そんな時のマスターさんのアルバムがリリースされる少し前に謎の強い頭痛に襲われた。最初はロクに病院も行ってないので、歯が痛みが原因かなと思って歯医者に行ってチェックしてみた。特に歯が原因かは医者もわからず、もし万が一歯が原因で神経を抜くとかになるとNYだと一本800USD(約83000円)ほどかかる。二本抜くとなると16万円以上かかるので、これなら日本帰れちゃうなと思った。毎日突然来る謎の強い頭痛で眠れず辛過ぎたので急遽2001年9月4日に日本へ戻ることにした。

久しぶりの日本は綺麗だ。病院も綺麗だ。色々と診断そしてMRIも撮ったが特に脳に以上も見られない。NYの時はほぼ毎日同じもの食べていたのでそれが原因かもしれない。と言われた。

ちなみに何を食べていたのかというと、ごはん(米はサウスカロライナ米)を自分で炊いてフライドチキン(200円弱ぐらい)もしくはチキンとブロッコリーのご飯付き、もしくは帆立みたいなやつを揚げたやつのご飯付き。この2種類の弁当(450円ぐらい)だった。

これを近くの中華屋さんでほぼ毎日買っていた。あまりにも行き過ぎていたのでお店の人に「マサ!お前俺の親戚だろ!そっくりなやついるぞ!」とよく言われた笑


日本へ帰ったタイミングが、ちょうどマスターさんのアルバム(Daddy's House Vol.1)のPRの時期だったので、「よければ一緒に雑誌のインタビュー出てよ!」となった。急過ぎたのでめちゃくちゃ緊張したのを覚えている。インタビューの場所がAVEX RECORDS(エーベックス)だったので、「ここがAVEXかぁ、社長(当時)の松浦さんって確か、同じ上大岡出身なんだよなぁ。」とか思いながら綺麗な大きいビルの自動ドアを抜けて、インタビューへ向かった。はじめてのインタビューは一社だけなのかな、と思ったら確か3.4社ぐらいやった気がする。とにかく同じ事を言い続けていたし、慣れてないからか、めちゃくちゃ疲れた。でも、とても良い経験をさせてもらったのでマスターさんやスタッフさんにお礼を述べて東横線に乗って家路へ向かった。その帰宅途中で急にマスターさんから電話が来た。やばっ!何か変な事言っちゃったかもしれないと思ってとりあえずそーっと「もしもし。お疲れ様です。」っと出ると、かなり大きな声でびっくりしたが「マサ!家帰ってテレビつけろ!NYやばいぞ!」との連絡だった。何のことかさっぱりわからなかったので、とりあえず電車を降りて急いで帰った。


その日が9.11だった。


崩れ落ちるビルをただテレビで見るしかなかった。

シゲ君やじゅんちゃんやみんなNYにいるからめちゃくちゃ心配だったので、とにかく電話をかけた。最初は繋がってその後はどこへかけても話中だった。


自分がNYへ帰る予定が10月頭で、毎日同じ映像を見ていて、色々と考えさせられた。その後10月にNYへ戻った時(ビザ問題はセーフ)NYは街自体の元気がまったく無くなっていた。朝から晩まで車やタクシーのクラクションが鳴り続ける街だったのが、車は走っているけどクラクションはまったくなく、タクシーのフロントミラーには小さいアメリカの国旗をつけてゆらゆらと静かに走っていた。当時バイトしていたカラオケ屋さんも戻った日には勝手にクビになっていた。色々と考えた。


マスターさんから言われた事を思い出した。「今、25歳だったらその時にしか出来ない(書けない)楽曲も絶対あるから、(住む場所も)良く考えた方が良いよ。」

シゲ君は頑なにNY(アメリカ)でのリリースを考えていたので、日本へは帰らないと言っていたが、自分は一度日本で試してみたい気持ちになっていたので、翌11月に一人日本へ完全撤収をした。


帰ってきてからは、日本で色々なクラブ等に参加させてもらった。その事を良くシゲ君にも報告をして、時には説得をして数ヶ月後、シゲ君も日本へ帰ってきた。


帰国後も3年ほど、お互いさまざまなバイトをやりながらHi-Timez名義でインディーでコンピレーションの参加だったりでリリースをさせてもらった。そして色々な人の協力を得て2004年に東芝EMIというレコード会社へ契約が決まった。初のメジャーデビューだ。すごく切り詰めればバイトを辞められるようになったので、やめて音楽一本だけになった時はちょっと誇らしげだった。当時は確かレコード会社から、もらっていたお金が月15万ぐらいでその時の自分の年齢が28才。周りから見れば胸を張って言える様な金額では決してなかったが、バイトを辞めれたのがとにかく嬉しかった。


Hi-Timezでのアルバムにはもちろんじゅんちゃんにも何曲か参加してもらった。じゅんちゃんも日本へ戻ってきてソニーで契約をしていた。もうJUJUというアーティスト名になっていた。JUJUというとうちらはNYのヒップホップグループ Beatnutsを思い出して懐かしくなったりもした。


Hi-Timezからその後、自分とシゲ君はSPONTANIA(スポンテニア)というグループ名へ変えてレコード会社も東芝 EMIからユニバーサルミュージックへ移った。そこでの4枚目のシングル「君のすべてに feat JUJU」をリリースしてからは急に周りが変わり出した。

沢山のスタッフさん達を用意されたり音楽環境を用意されたり毎日スケジュールが埋まったり(埋められたり)。


その後はSPONTANIAとしても色々個々での楽曲への客演参加も増えて、シゲ君とは一緒に楽曲を作る機会も少なくなった。キャンペーン(PR)などで毎日一緒にいたので、お互い顔を見るのも嫌になっていたと思うし、インタビューでも噛み合わない事や自分に関してはシゲ君のチリチリの髪をみてるだけでイライラしてるぐらいお互い距離が出来ていた。


他の仲の良いアーティスト達と飲んでいる時に「マサとシゲって仲悪いんでしょ?」と冗談まじりで言われていたのだが、実際めちゃくちゃ悪かったと思う。

そういう時はだいたい誤魔化して「そう見えます?うちら良く話したりしているし、仲良いですよ!」とよくわからない嘘をついてしまう事も少なくなかった。

とにかく二人一緒だと気まずくて、誰かスタッフにいて欲しいと思うようになっていて、誰が想像するよりも深い溝が出来ていた。


そんな二人がどう仲直りしたの?と思うからもしれないが、仲直りもしてないし、ぶっちゃけ喧嘩もしてない。というのが答えな気がする。

ただ自然発生的なものなんだと思う。


今回あえてこういうブログにして書いてみたのにも、うちら二人が出会ったあの頃って何を考えていたんだろう、を振り返ってみたくなったからだ。

シゲ君とNYに居た頃のようなお金も何も持ってないけど、夢だけはあった。そんな気持ちに少しでも戻れたらという想いで、今回15年ぶりにHi-Timez名義で自分達の楽曲を自分たちだけで、リブート(Re-Boot)してみた。

この楽曲には、そんな純粋な想いをいつでも持ち続けている大阪のNAOにも参加をお願いした。この曲で誰かの背中を押せるとか大それた事言う気はまったくない。ただただ、純粋に自分達のあの頃の想いを発信できれば、という気持ちだけだ。


それでは、12月17日のNAOの誕生日に変わったらここで公開します。


HI-TIMEZ






今回そんな思いつきに最初からずっと付き合ってくれている溝上さんをはじめとするベアナックルエンターテイメントの皆さんには本当に感謝しかない。

感謝の意味も含めてホームページのリンクぐらいは貼らせてもらう。

ベアナックルエンターテイメント




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